第八弾

いろんな立場の方々と”イバショ”について飲みながら考えてみた!

第八弾 対談者:認定NPO法人文化学習協同ネットワーク ねりま若者サポートステーション

所長  田中亮太さん

この記事は10分で読めます。*酔っ払っていることがあります。発言の責任は問わないでください*

 

田中さん:不登校だったりとか、何かしらの理由によって、普通と呼ばれるようなレールから外れる人達っているじゃないですか。そういう子達とか青年達が感じる生きづらさやしんどさと付き合ってきたんですね。それってどうやったらしんどくなくなるのかな?とか、どうしたらあなたがもっとあなたらしく自分の人生を主体として作っていけるんだろうか?みたいなところを一緒にやってきた。その中で見付けてきたキーワードが、「孤立を越えていく」っていう。つまり、しんどかった中心的なものは、孤立していることじゃないかと。つながりから途切れてしまっているとか、ひとりぼっち的な孤立感を味わっているってことが、すごく大きいんじゃないかなって感じていて。その状態から何とかしていくには、人とつながり直すっていうことじゃないかって、僕らはよく話すんですよね。居場所があるということは、孤立していないことにも繋がるんじゃないかなと。居場所を見付けたり増やしたりができるようになると、その人にとってはすごく生きづらさを乗り越えていくというか、なんとかしていけるようになっていく、そういうことかなぁと。

 

:孤立がキーワードっておっしゃったじゃないですか。文化人類学者のレヴィ=ストロースの記録を読んだ時にたしか書いてあったんですけど、ある民族が村から村八分されたら、狂人になっちゃったって一節があるんですよ。

 

田中さん:狂っちゃった。

 

:そう。だから、孤立って人を狂わせるというか、心を崩壊させるものだと思うので、つながりを作るっていうのは、本当に生命的に大切なことだと思うんです。

 

田中さん:孤立の話とか居場所の話っていうのは、必要な人がほとんどなんじゃないのかね。そういう意味で言うと、ぜんぜん他人事ではなく、自分達含めて「人間ってさぁ」みたいな感じですよね。

 

:どういうつながりを持てば、孤立感って解消されるんですかね?私の場合、人と一緒にいて大勢でワイワイしていても、孤立感を感じることが割とあって。田中さんご自身は、孤立を感じる場面とそうでない場面って、どういう違いがありますか?

 

田中さん:そうだなぁ・・・。今自分がどういう状態であるのかを知ってもらっていると、僕はあまり孤立しているとは思わないし。失敗したりとかさ、しんどくなったり、1人で抱えきれなくなったりした時に、助けてもらえないかもしれないってところが、僕にとっては孤立している感じかな。いざとなったら助けてもらえるかもしれないっていうふうに思えるのと、孤立無援で、ひとりぼっちで戦い抜かなくちゃいけないのかなっていうのと。孤立しているかどうかの境目っていうのは、その違いみたいなところはあるかな。

 

:じゃあ、自分の状況を理解してくれて、いざとなったら相談に乗ってくれる理解者がいたり、そういう人とつながりを持てる場が、田中さんにとっては居場所なんですかね。

 

田中さん:うん。あとはね、僕がすごく大事にしているのは、自分を必要としてくれる人がいるっていうこと。例えばさ、とおふじさんの他の人のインタビュー記事をいくつか見させてもらって。記事になっている方は、僕からするとすごく尊敬できる活動の仕方をしている人達だったんですよね。お話の内容も面白いし、すごく共感したり勉強になるなっていう話だったから、とおふじさんが今日頼んでくれて、そういう人達の中に自分が入れてもらえるなんて、すごく嬉しいなって。

 

:わぁ〜それは私も嬉しいです!

 

田中さん:「この人達の並びに田中を並べると、こりゃあショボくなっちゃうなー」とか思ったら呼ばれないと思うので(笑)。

 

:うーん、まぁ(笑)。

 

田中さん:ステータス的なものとか、大々的な場所かどうかは僕は気にしないんだけど、自分にとって「この人すごいな」っていう人と同じような舞台とか、同じような扱いを受けるっていうのは、自分自身が同じような何かを持っていると相手に思ってもらえてるっていうふうには思うから、それは嬉しいと思うし。それが心の居場所みたいなものになってるんじゃないかな。

 

:必要とされることが嬉しいとおっしゃいましたが、東京都では、自尊感情には3つの要素があると言っていて。それが、自己受容と、自己表現(※実際は自己主張・自己決定)と、もう1つが自己有用感なんですよ。自己有用感っていうのは、人から必要とされる経験とか、自分は人から必要とされているって思えることなんですよね。私の経験でも本当にそうだなって思います。一人じゃない、誰かと一緒に生きている感じが励みになると言いますか、自信につながる重要な要素だと思います。

 

田中さん:そうだね。改めて自分に当て嵌めて考えると、自己受容と自己表現はずっと若い頃からしてきた人間なんですよ、僕は。自己表現って放出すれば良いから、受け取り手がどうか?って関係なくても「俺天才!サイコー!」って思えば、自己受容と自己表現にはなるのよ。そこにね、自己有用感っていうのが、今考えるとすごくなかった気がするんですよ。自信過剰な若者だったんです。

 

:そうだったんですか。そういう考え方っていうのが私は経験ないんですけども、何でもできる!もうドンと来い!みたいな感じなんですか?

 

田中さん:うーん、その気になれば何でもできると思ってたのかなぁ・・・?20代と今を比べると、もう本当にすごい価値観が違うんですよ。人の役に立つとかさ、求められて嬉しいって感じは、あまり知らなかったというか。それも孤立だよね。

 

:あまり人の目を気にしなかったんですか?

 

田中さん:どちらかというとそういうタイプだったのかな。お金のためにとりあえずやっていた塾とか家庭教師とかで、「あぁ、人のためになるってこういうことか」とか「喜んでもらってお金貰うってこういうことか」っていうのを知って、自己有用感的なのを学んだんですよね。僕が教えてた子っていうのは、学校行くの嫌だし友達いないしみたいな、孤立した子ども達が多くなっていったんですよ。「勉強しなさい」でうまくいかなかった子達だから、まずは人としてその子たちと知り合うところからやっていったんだけど。その子の好きな漫画とかゲームとか、そういうところからまず話をしようってね。自分もそれが楽しかったし、成果もそれなりに付いてきたから、自己有用感への価値観が変わっていったみたいなことがありましたね。で、自分を活かせる場所ってどこだろうって探していった先に、今のような仕事に辿り着いた。

 

:自己有用感を知って、人生変わったレベルですね。

 

田中さん:冗談抜きで、別人というか。だから、サポートステーションの若者と話していると、「必要とされない自分」とか「自分なんかが人の役に立てるんだろうか」とかみたいなのを聞くんだよ。自己を卑下せざるを得ないような彼らの価値観を僕は聞かされるんだけど、そういうのを求めてるっていう点で、社会とつながろうとしているというか、社会で生きていくための大事なことを意識してるんだねって、僕はすごく思うんですよ。すごいよ。

 

:私はずっと承認欲求で悩んできたので、田中さんが「すごいよ」って言われたのが新鮮ですね。その発想はなかったです。

 

田中さん:悩むってことは、人から必要とされたいってことでしょ?

 

:そうです!!!

 

田中さん:そうだよね。僕は、自分が人から必要とされるかどうかという視点が、昔はなかったわけですよ。役に立たないかもしれないという仮説がないんだよね。相手が役に立つって言ってないのに、勝手に役に立つって思ってたわけだから。空回りしてたの。

 

:そっか、役に立たなくても良いや、じゃなくて、役に立つんだろうみたいな考え。

 

田中さん:だけど実際、あれっ!?って(笑)。

 

:あらら(笑)。

 

田中さん:これ・・・だんだん記事になるのが心配になってきた(笑)。

 

:むしろ私は、だんだん話が面白くなってきたなと思ってきてますよ(笑)。

 

田中さん:こういう話をしてると、僕が立場上、支援をするような仕事をしているけども、自分自身が自分の人生を生きていく中で学んできただけの人間でしかないってことがよく分かるでしょ?

 

:というよりも、同じ人間だなって思えてすごく嬉しいです、なんか距離感が縮まったような感じで。

 

田中さん:当事者でしかないですよね、本当に。その感覚がないと、こういう支援者と呼ばれる仕事もできないだろうなと思うし。

 

:辛かったことを分かってくれるような支援者だと、相手も「孤立からようやく人とつながれた」みたいな感覚にもなれると思うんです。だから、田中さんがいろいろカミングアウトくださったことで、「もしかしたら、この人なら共感してくれるかもしれない」みたいな希望を持つ人が、きっとたくさんいると思いますし。私も距離縮まったなぁって思ったので、聴けたことが嬉しいです。

 

田中さん:なら良かったです。どこまで行っても別の人間同士が話してるから、理解も100%はできないだろうけど、理解しようとしている人が何かを返すっていうね。そこがあれば、何かが起きるんじゃないかっていうのは思いますよね。

 

:完全に共感できなくても、理解しようとしてくれているって分かるだけで、ぜんぜん違いますね。「そんなことで悩んでるの?」みたいに言う人もいるじゃないですか。理解しようとしてくれる人がいる場が、居場所になると私は思っているので。

 

田中さん:居場所っていうのも、地域社会がその人にとっての居場所にならないと、結局僕らのとこしか居場所がないってなっちゃうじゃない?だから、一部の支援者だけが居場所作りをするんではなくて、地域社会のあちこちがそれぞれの人にとっての居場所になって、時には社会の側が、若者とのやり取りの中で居場所を得ることにもなるかもしれないじゃない。どっちがgiveかtakeかってのは入れ替わることもあるよね。皆にとって地域社会が居場所になれば、仕事や学びもそうだし、地域社会の活性化とかも含めて、色んな問題っていうのもどんどん良くなっていくプラットフォームになるというかさ。

 

:地域全体が相互的に居場所になっていく。本当にそうなって欲しいなって思いますね。

 

田中さん:居場所っていうのを特別なものじゃなくて、今の時代を生きていく人達に居場所どんだけありますか?っていう、そこのとこの話だと思うんですよ。居場所が少ない人って、こういう時代すごくしんどいと思うし、時には仕事のこととか、色々なことがなかなかうまくいきにくかったりすると思うんですよ。だから、居場所というものを社会全体が当たり前のように大事にしたり意識したり、作ったり、そういう活動をもっとしていけるようになったら良いんだろうなと。

 

:もはや、居場所っていう言葉を意識しなくなるくらいにそれが当たり前になって、皆が生きやすくなってる、みたいなのが理想ですかね。

 

田中さん:きっととおふじさんは、そういう活動をね、自分のためにも人のためにもいっぱいしてきたんだと思うんですけど、そういうところからもう居場所作りは起きていると僕は思っていて。他の支援機関の人とか企業の人とかと、色んな形で話をして会ってみたり。その中で、また会いたいな、一緒に何かできそうだなとか、話すだけでも何か自分が良い状態になったり、今後につながる話が生まれたり、アイデアが出てきたりとか。そういうことがある人との時間っていうのは、僕はそれ自体が居場所だと思うし、その中にさっきの自尊感情の定義の3つが揃ってんじゃないかなって思うんだよね。

 

:話していく中で創造的な未来が生まれるっていうのは、良い時間ですよね。

 

田中さん:結局人とのつながりだと思うんですよ。つながりの中には、やはり色んなものがあるから。なんかそういうことをね、自分自身も体感しながら、生きていますね。

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