第十一弾

いろんな立場の方々と”イバショ”について飲みながら考えてみた!

第十一弾 対談者:ジャーナリスト 池上正樹さん

この記事は10分で読めます。*酔っ払っていることがあります。発言の責任は問わないでください*

 

池上さん:居場所っていう定義は非常に難しいと思うんですけども、共通しているのは、人は皆何かしら自分が癒やされる、そういう空間なり場所なり時間なりってそれぞれ必要だし、大事なのではないかなと思うんですよね。だけど、例えば今ひきこもっている多くの人の場合は、何らかの形で社会で傷付けられてきたり、色々頑張ってきたけども理不尽な目にあったりとかですね、あるいは人間関係の中で理解されない特性とかね。そういう中で、自分が行くところがなくなってしまった時に、唯一世の中で安心できる場所は家の中なんだと。だから、家の中のように誰からも攻撃されない安心できる環境をもっと家の外に増やしていくことが、とても大事になってくるのではないかなぁと思うんです。出掛けていく場所が増えるっていうことは、生きていく選択肢が増えるっていうことになりますから。

 

:ひきこもりの方って、家が唯一の安全基地みたいな感じが多いのかなと。安全基地から安全じゃない場所へ出るというのは、ものすごい葛藤があるんでしょうね。

 

池上さん:そうなんです。安全基地は生存に不可欠な領域ですからね。そこから出るためには、本人が出掛けたいと思える場所があるかないか次第ですよね。

 

:外の世界にも安全な場所や、癒やしの場所を見付けるっていう。「癒やし」ですよね、大事な要素っていうのは。

 

池上さん:だけども、従来の支援者が描く居場所っていうのは、ハコを借りて誰かを常駐させて、社会に適応させるためのプログラムを組んで、目標は就労とか自立とか。そうすると、合致する人は良いんですけども、傷付けられたり辛いことがあって外に出られなくなっている人たちが、ようやく辿り着いた場でゴールを強要されたり急かされたりする。それは、もはや居場所ではない。更に、「なんで働かないの?」って説教までする支援者までいて。社会と同じですよね。自分が傷付けられたことを、相談窓口なり居場所なりで同じことをやられてしまったら、もう二度とそこには行きたくないって思いますよ。まずは、自分の傷を癒やしてくれて、ちょっと元気を取り戻すために必要な、家以外の居場所ですよね。エネルギーが生まれるような場でないといけないし。

 

:社会から傷付けられたっていうのは、ほぼイコール、価値観を否定されてきたとか、自分を否定されてきたことだったりすると思うんです。もうヒットポイント0なのに、支援者に助けを求めて更に否定されちゃったらオーバーキルですよね。生きる自信を無くしてしまいます。

 

池上さん:そうです。ひきこもっている人で言うと、115万人いたら115万パターンのひきこもりの状態があるわけで。だから、色んな選択肢があって、理解があって、本人のタイミングとか状態とかでマッチングできる人材育成も大事だなと思って。居場所って言うと、本当に色んなものが大事になってくる。総合的に見ていかないといけないんじゃないかなぁと思ってます。

 

:ひきこもりさんを例にしたからすごくわかりやすかったんですけども、居場所が増えることで物理的な行動範囲が広がるっていうことは、居場所がないとそれだけ経験の格差が出てしまうのかなって思うんですね。

 

池上さん:そうですね。今は会社勤めの人たちも、雇用が不安定になって、特に男性が多いんですけど、仕事を失った途端に何かつながりがなくなり、出掛ける用事も失ってしまって、ひきこもりの状態になっちゃったっていう。本当に笑い話ではなく、それくらい会社人間の人って、逆に予備軍というか。潜在的にひきこもりになる可能性が高いんじゃないかな。

 

:普通に働いてた人でも、失業したことでひきこもりになると。

 

池上さん:会社が拠り所になっていた人にとっては、会社という肩書きや所属、名刺があったが故に、外で色んな人と会えたりとか、飲み屋にも行ったりとかできてた。職場も居場所だったかもしれない。でも、肩書きや所属を失うってことは、個人名以外の呼び名が一気になくなってしまう。それしか持ってなかった人にとっては、自分を説明できるものがなくなって、自信がなくなるわけですね。誰かと会うのにも躊躇するし、外にも行けなくなってしまうとか。一気に居場所を失うってことに繋がりかねなくなります。

 

:定年退職をされた後に、女性だとご近所さんとか色んな付き合いの場に行ったりできるけど、男性の場合はずっと家にいる人が多く、だから病気にもなりやすいし体力も衰えやすいみたいな話をけっこう聞きます。

 

池上さん:性別で比較する話ではないかもしれないと思うんですが、それでも比較的男性以外のほうが、会社以外の人脈もいっぱい持っていたりとか、何か他にもやりたいことがあったりする。退職後は資格を活かしていくとか、趣味の世界に生きるとかね。けっこう前向きに退職というものを捉える傾向があるのではないかなと思います。

 

:肩書きが自分にない時に、どう人とつながりを持てば良いのでしょうか?

 

池上さん:会社にいる頃から作っておくっていうことですよね。次のライフプランを考えておくとか、趣味に特化したつながりでも良いと思いますし。元気なうちに、自分がまだ前向きであるうちに、色んなつながりやチャンネルをいっぱい持っていたほうが、色んな事情で会社を辞めることになったとしても、あまり打撃にはならなずに活かされるんじゃないかな。

 

:予めつながりを作ってリスクを分散させるということですかね。

 

池上さん:そう思います。

 

:そういえば池上さんは、社会人になられてからずっとジャーナリスト関係のお仕事だったんですか?

 

池上さん:そうですね、最初に就職した会社が報道機関だったんですが、会社を辞めてからは、出版業界で執筆する仕事を転々として、フリーになってからは、すでに30年近く前になります。

 

:じゃあずっと書かれることがお得意なんですね。

 

池上さん:書くことばかりしてきましたからね。本が好きでね、子どもの頃から紀行作家になるっていうのがずーっと夢だったので、それに近い仕事が実現できているのかもしれない。でも昔は、僕も言葉が苦手だったんです。

 

:そうだったんですか?

 

池上さん:学校時代、一言もしゃべれなかったんですね。幼稚園から小学校まで、クラスメイトとまったくしゃべらなかった。だから、休み時間とかずっと図書室ですよね。

 

:緘黙だったと伺っています。あんまり私、わかってないんですけども、障害のことなんですか?

 

池上さん:最近になって知ったのは、それも発達障害の一つではないかと。そういう捉え方もあるようなんですけども、障害なのかどうかはちょっとわからないし、気が付いたらそうなっていた。なんで自分ってしゃべらないのかなぁって当時は思っていました。

 

:今は全然そんなふうにはお見受けしないんですけども、昔はそうだったんですね。

 

池上さん:はい。もう色んな空想ばかり膨らんでいって、だから紀行作家になりたかったのだと思うんです。色々文章を当時から書いていて、ファンタジー、SFとかね。それはやはり、自分が話すのが苦手だったから、そのコンプレックスを書くことによって自分を表現する一つの武器にしていたっていうようなことだったんではないかなぁと思うんですよね。

 

:それで今のお仕事に。文章力が磨かれたわけですね。

 

池上さん:まだまだ未熟ですけど(笑)

 

:とんでもないです!すごくクリエイティブなお仕事ですよね、記事を書くお仕事っていうのは。

 

池上さん:これは本当に試されてるなって自分でも思います。物語でもドラマでもね、読者や視聴者が望まれるのは、いつもハッピーエンドのストーリー。「最後は処方箋を示して読者に希望を与えてあげてほしい」と、クライアントからも求められる。でも、それぞれが直面している現実の課題には、そう簡単に答えは見つからないし辿り着けない。ある1人のサクセスストーリーは、「ひきこもり」関係では皆の解決策になるわけではなく、「ああ自分には無理。ここまではできない」と絶望する事例にもなり得る。作品としては、リアルにありのままを出しても、それはそれで暗い気持ちになってしまうっていうのもわかりますし、それぞれにとってのサクセスストーリーを求められている中で、どうバランスを取っていくかが書き手には求められているんだろうと実感しています。

 

:プロのクリエイターとして、やっぱりそこは気を使いますよね。わかりみが深い。

 

池上さん:書き手としてテクニックはプロであっても、当事者たちの気持ちや心情、見えない特性などをどこまで想像できているかどうかというのは、人によってずいぶん違っていると思います。そうであるならば、できる限り本人たちの苦しみとかしんどさに寄り添って、他の当事者たちはどうなんだろうということも考えながら書いて、バランスを取っていくということは心掛けていますね。誰ともつながりがなくて、なかなか表に出せない声を、どうやって社会に届けるかということをずっと考えてきました。そうした見えない声を伝えていくという地道な作業をできるのは自分の使命なのかなというのがモチベーションとしてあったので、こういう仕事をずっと続けてこれたのかなと思います。

 

:当事者の方が「辛いです〜助けて下さい〜」って発信しても、「自己責任」とか言う人もいたりするかもしれないですけど、第3者の方がそうやって代弁して言ってもらえると、救われることってたくさんあると感じています。

 

池上さん:ありがとうございます。きっとね、聴いてもらいたいんだろうなぁって。誰も聴いてくれない、受け止めてくれる人がいないっていう声が圧倒的に多いんですよね。そういう方々から、毎日メールが来るんですよ。

 

:そうなんですか!他人の方の辛い思いを聞いた時に、波動で自分も辛くなったりとかされません?

 

池上さん:いや、ありますね。大体勘でわかりますね。自分でも気付かない無意識のトラウマみたいなものが引き出されそうになる。これは自分の中の危機管理として、ちょっとそこで距離を置こうとか、そうしたストレスにならない距離感の意識は、自分を守るためにやっていますね。

 

:やっぱり、そうなっちゃう時もあるんですね。

 

池上さん:ありますあります。一生懸命相手の求めることに応じようと思ってやろうと思えばできるかもしれないけど、多分ね、こっちも疲れて燃え尽きてしまう。お互いのために距離を取るということが、やはり関係性を持続していくためには大事なことだと感じています。

 

:そういう辛いことがあった時の心の居場所というか、今のご自分の居場所ってどういうところなんでしょうか?

 

池上さん:コロナの前はね、けっこう鉄道が好きで。ローカル線に乗るのが好きなんですよ。出張とか講演とかに呼ばれて行った時に、時間に余裕がある時は、帰りに真っ直ぐ帰らずに、列車に乗ってぼーっとしています。夕陽を眺めながらビールを飲むとかね。それが自分にとってのご褒美かなと。「よく頑張ったよね」という感じで、自分で自分を褒める。皆そうだと思うんですけどね、そういう時間とか場所って大事ではないかなと。

 

:大事ですよね。列車は子どもの頃からお好きだったんですか?

 

池上さん:そうそう、緘黙症だった小学校の頃から1人で。

 

:1人で!?

 

池上さん:1人です、いつも。

 

:すごい、1人で!だって私、小学校の時でも1駅乗るのが最長で、中学校から電車通学でその先の駅まで行くようになったんですけど、それですら当時は「大人になった感」があって(笑)

 

池上さん:わかります、わかります!

 

:でも池上さんは、もう小学生の時から普通に乗れる子どもだったんですね・・・!子どもで電車を怖がらずに乗れるって、私からしたら一種の才能だと思います。

 

池上さん:1人でぼーっとする時間ってのがね、好きだったんでしょうね。あまり友達とかもいないし。

 

:コロナになってからは、お仕事とかで影響は出たりされてるんですか?

 

池上さん:とても影響が出ています。最近ではリモートになることも多くて、出張に行けないので、僕の唯一の楽しみだった鉄道にも・・・

 

:あらあら!それ深刻じゃないですか!

 

池上さん:深刻ですね!(笑)

 

:そうかぁ、列車に乗れないとなると、日々の癒やしは足りてるんですか?

 

池上さん:ま、家呑みです(笑)

 

:早くコロナが良くなると良いですよね。列車と言えば、私よくサンライズ乗ってました。夜行列車。

 

池上さん:マジですか!サンライズの写真ありますよ。

 

:あります?わぁ!(写真を見せてもらう)あ、カニ寿司!贅沢で良いなぁ!

 

池上さん:贅沢というか、これがもう働いた後のささやかなご褒美ですよね。

 

:私はサラリーが低いので、出張の時はいつもカロリーメイトばっかり(笑)駅弁とか羨ましい限りです。

 

池上さん:えー!せっかくなら良いもの食べないと!

 

:食べたいですね!自分にご褒美を与えてあげないとやってられません!(笑)

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