第十弾

いろんな立場の方々と”イバショ”について飲みながら考えてみた!

第十弾 対談者:手作りおやつ工房とさか

店主 登坂真代さん

この記事は10分で読めます。*酔っ払っていることがあります。発言の責任は問わないでください*

 

登坂さん: 居場所作りとか、子どもの居場所とか、今「居場所」って言葉、どこ行っても聞くじゃないですか。

 

:増えましたよね、ここ最近。

 

登坂さん:すっごい増えて嬉しい反面、ちょっと違和感もあって。「居場所」と「支援」という言葉がくっついてくると思うんですけど、最近モヤモヤしていて・・・。色んな支援とか福祉に関わる人とか、喫茶店とか居酒屋さんとか、そういうところも居場所になってると思うんですけど。例えば、居酒屋さんの店主さんが「皆の居場所なんだよ」って言うのは、何かちょっと違うんじゃないかなって。

 

:居場所を提供する側が、「居場所」って言うことに対して違和感を持ってる感じ?

 

登坂さん:うん。結果として居場所になっているっていうのが自然かな。後付けで「あぁウチもお客さんにとって居場所なんだ!」とか。なので、居場所を作ろうっていうのは、ちょっと違うかな。

 

:誰かのためにっていうのが、押し付けがましく感じちゃうってことかな?

 

登坂さん:あぁ〜そうかもしれないです!納得しました!

 

:支援っていう言葉もそうなんですけど、誰かのためにっていうのは、善意を押し付けてしまうこともあるのかなって。居場所って、結果的に当人が感じるのは良いんですけども、こっちが押し付けがましく「居場所を提供する」って言うのは、違和感があるってことですかね。

 

登坂さん:わぁ〜!(拍手)

 

:パチパチパチ!(拍手)

 

登坂さん:とおふじさんの引き出し力がすごい!(笑)だから、「居場所」と「支援」ってキーワードが、私の中でいつも離れないんですよ。なので、居場所って言葉を自分自身が使うことに、ちょっと一歩踏み止まっちゃうというか。でも、「ここに居場所がありますよ」って言ってる団体さんがいて、私が何も言わないと、もうそこにしか受け皿がないみたいになっちゃうのは、ちょっと悔しいなーって思いがあって。居場所って言葉はすごく分かりやすい。居場所がいっぱい増えている裏で、傷付く人がいるんじゃないかなっていうことは、常に心に留めておこうって思ってます。

 

:なるほどですね。提供側と受け側のニーズのミスマッチが起こり得るっていうことを認識することって大事だと思うんです。求めていない善意を押し付けられるっていうことは、すごく辛いことだと思うので。

 

登坂さん:あぁ、ちょっと自信が湧いてきました!(笑)私、ひきこもったまま自分も社会とつながれるようにってことで店を始めたんですけど、最初から福祉のことは考えていて。子どもの貧困とか孤立とかに関心があったんです。一方で、好きなことをしてお金をいただくことにすごく罪悪感があって。でも、利益を地域の子ども達のためだったり、高齢者のためだったり、寄付をしたり、必要な物品を購入して寄贈したりできれば、利益を得るっていうのは全く悪いことじゃないと納得できて。私はひきこもったままずっとこの場所にいるから、子ども達の見守りもできるし、高齢の方がお散歩や買い物の途中で疲れたら休憩してもらえるっていうので、こういう私でも役に立てるじゃないかって思ったんです。

 

:それでお店を始められたんですね。

 

登坂さん:小さなお店とはいえ経営者であるし、リピーターさんが来てくれて、子育ての愚痴だったり旦那さんの愚痴だったりを、ちょっと吐き出す場所にもなってる。お菓子を買って帰ってく姿を見る中で、1日の疲れとかストレスとかを話せる場所になってるんだなぁっていうのをすごく感じて。自分にとっての居場所が、お客さんにとっても役に立っているっていうのを、お店をやることで実感できたんです。

 

:自分の好きなことで自分の居場所も作れたし、他の人も喜ばせることができるって、ご自分でも最高なんじゃないですか?

 

登坂さん:最高ですよ!(笑)皆に個人事業を勧めるわけでもないんですけど、多分生きづらさを感じてる人って、自分はそういう価値がないって思ってる人が少なくないんじゃないかなと思って。

 

:そういう登坂さんの経験談っていうのは、同じような悩みを持った方をすごく勇気付けることだと思います。

 

登坂さん:ありがとうございます。ひきこもったままを認めてくれるって、すごく大事だなって思っていて。だから、ひきこもっている人を助けたいっていう親切心からであっても、違うところに場所を作って「ここにあなたの居場所があるよ」っていうのにすごく違和感があって。でも、そういう場所が人とつながるきっかけになったりするので、居場所作りっていうものを全部否定するわけじゃないんですけど。

 

:居場所を作るって言うよりかは、きっかけを作るって言った方が良いのかな。

 

登坂さん:そうですそうです!(拍手)ですから、居場所作りではなくてきっかけ作り?

 

:合点しましたね!(拍手)

 

登坂さん:でもそれが、「きっかけ作りやってます」って言っても多分わかんなくて、「居場所作り」って言うと分かりやすい。だから、居場所がたくさん増えていくのは嬉しんだけど、反面ちょっと怖いなーって感じてるのはそれかもしれないです。

 

:押し付け感っていうのは共感できる気がします。私は今、こういうサイト作って記事書いたりしてますけども、誰かのためにやるとか、誰かを助けたいって絶対言わないようにしていて。あくまで自分が楽しいからやっているだけ。それは、自分が誰かを助けられるほど出来た人間ではないっていう自己肯定感の低さもあるんですけども、善意を押し付けられる辛さっていうのも経験してきたからですね。結果として自分の活動が誰かのためになってくれたら良いなーっていうのはすごく思っています。

 

登坂さん:うんうん、すごく良いと思います!言葉で自分の気持ちをそのまま表すというのは、やっぱり難しいですよね。工房は、私の生き様を知ってもらう手段。ぜんぜん完璧な人間じゃないけど、自分のためにも頑張ってるし、自分も誰かの力になれたら良いなぁと思いながら日々もがいたり、今日はちょっとできた!ってテンション上がったり。そういう、ちっちゃな人間なんですけど、1人の人間として知ってもらいたいなぁって。

 

:生き様を表現する。大学院時代(美術)の教授が言っていたんですけど、生き様が描かれた絵を観て「あぁ・・・自分と似たような人もいたんだな」って思った時に俺は涙を流すって言ってたんですよ。誰かのために描いたってなると「お前は俺の何がわかるんだ」ってなる。そうじゃなくて、自分の考えとか価値観、生き様を描いて、自分を表現すれば感動する人は絶対いるからっていうふうに言われたことがあるんです。それがすごく心に残って。

 

登坂さん:へぇー!私にとっては、お店が居場所で、自分を表現できる場所。生きづらさっていうのは、決して自己責任ではなくて、社会でずっと見過ごされてきたものが弱い人に押し付けられてきちゃってたりとか、放置されてきたり。大人で生きづらさを抱えてる人って、ある日突然生きづらさを抱えたわけじゃなくて、その人の背景を見ていくと、もう幼少期からだったり、誰も助ける余裕がないような環境にいたりとか。周りの大人も助けが必要だった人でっていうふうに考えて行くと、誰も責められない。やっぱり今の社会の現状を考えた時に、怒りを感じずにはいられなくて。怒りって、私は最近否定しなくなってきて。それだけのエネルギーを注げる何かがあるわけじゃないですか。それを、怒ったりとか感情的にぶつけても、誰も幸せにならないし、信頼も失ってしまう。じゃあそれを正しく表現するってどうやったら良いのかなぁって、自分と向き合って考えたりしてきました。

 

:じゃあ、アンガーマネジメントとか考えたりします?

 

登坂さん:そうです!アンガーマネジメントって介護の現場でも使うし、子どもの支援のところでも必要になってくると思うんです。障害福祉の分野でもそうだろうし、夫婦関係とか。そう思っていると、色んな人と共通点見付けて、一緒に何かやれることあるんじゃないかみたいな希望もあります。人って共通点がないと、無関心ですれ違いになりませんか?

 

:すごくわかります。

 

登坂さん:なので、ぜんぜん接点ないなーみたいな人とも、どっかでわかり合うというか、ある程度お互い知っていくことで、生きやすい社会になっていくのかなぁって思っています。けっこう色んなところで、実は共通点って皆あるんじゃないかなって。

 

:すごいですね。私、共通点ある人とは仲良くなれるんですけど、ない人だと話を膨らませていくのが苦手で。人の好き嫌いというか、好きな人と無関心な人の差が激しいんです。だから、登坂さんの考えを見習わなきゃなって思いました。

 

登坂さん:いえいえ!そう気付いただけで、私もひどいですよ。無関心というか、ちょっと私は攻撃しちゃうところがあって、それは自分の駄目なとこだなぁって思ってます。でも、相手に対して怒りを感じちゃうって、関心があるってことじゃないですか。前はそういう自分を全部否定してたんですけど、そういう自分もちょっと笑えるというか(笑)。あぁ自分は無関心じゃないんだなーみたいな。

 

:なるほど、なるべく自分を肯定しながら。

 

登坂さん:なんか無理矢理肯定している感ありますけど(笑)最近は、それが自然にできるように。

 

:お、成長した!(拍手)

 

登坂さん:成長した!(拍手)(笑)

 

:なんか私は、上手く怒りを表せないんです。人に嫌われるのが怖くって、怒ることができなくて。ウチの職場の関係者で、アンガーマネジメントの講師をされている人がいるんですけど、その人曰く、怒りを表現できないで溜め込んじゃうことはそれも問題というか。

 

登坂さん:そうなんですね。逆にとおふじさんは、溜め込んじゃった怒りをどうやって消化したりしてるんですか?

 

:分かんないですけど、自分に向いちゃうんだと思う。それが自殺願望とかにつながっちゃうのかな。不満を言えないし、言ってもしょうがないだろうと思っちゃうと、希望もなくなっちゃうじゃないですか。なので、適度な怒りの表現は大切だと思います。でも、私は未だにできません!(笑)。

 

登坂さん:でもやっぱ、自分に向いちゃいますよね。私の場合は、限界まで押し込めて、ある日職場とかでドカーンとやっちゃうんですよ。こんなところ今日で辞めてやる!って。前バイトしてた所で、バックヤードで店長にワーーーって怒鳴り散らしちゃって。何人かいるお客さんに丸聞こえだったと思います(笑)。

 

:やってしまいましたね(笑)。

 

登坂さん:やっちゃいました。会社の体制とか従業員の態度とか、話が通じない店長さんだったり、パワハラとかいじめをするベテランのパートさん達に怒りを向けちゃう自分もすごく悔しくて。でもその時は、ある社員さんが、私の言ってることとか、ずっと溜め込んでたものっていうのに気付いて、話を聴いてくれて。理解を示してくれた社員さんがいたから、私は1回会社に対して訴えたんですよ。初めてその時に、自分の怒りがめちゃくちゃなものじゃなくて、社会の理不尽さに対する怒りなのかなって、ちょっと自信に思えたんです。お互い傷をなめ合うバイトの関係ではなくて、社員さんっていう立場の人が理解を示してくれたっていうのは、けっこう大きかったかなぁって思います。

 

:そこで話を聴いてくれた社員さんがいたことで、冷静な対応もできて。怒りとか辛い時に、分かってくれて話を聴いてくれる人って重要だなって思います。そういうつながりを今、登坂さんはお店で作ろうとされてるんですもんね。

 

登坂さん:まさに、人ですよね。お店は1つのつながる方法。私、自分のことを「登坂さん」って言う時あるんですけど、人に工房の話をする時に、「皆が「登坂さん」って来てくれる」って言って。登坂真代と登坂さんは、同一人物なんだけど、何かちょっと違うような感じが自分の中ではあって。登坂真代じゃなくて、登坂さんが私の中ではお気に入りなんです(笑)。それって、自分の色んな感情とかを、客観的に見れる自分なりの方法なのかなと思ってて。「私は今日すごく落ち込んでる」じゃなくて、「登坂さんが今日落ち込んでる」って言うと、「私」はちょっと冷静でいられる。子ども達が来て一緒に遊んでいる登坂さんが、今日落ち込んでるよーみたいな。ちょっと遠目で、笑えるというか。

 

:へぇ〜!それマネしよう!(笑)

 

登坂さん:そうですよ!(笑)ペンネーム持ってらっしゃるから。

 

:第2の自分を作り出しちゃえば良いのか。面白い〜!

 

登坂さん:すごい楽しいですよ!一人演技じゃないですけど(笑)。そうやってると、お客さんが少ない日が続いて、自分何やってんだろうなー独りぼっちだなーっていった時に、そういう不安な気持ちを外に出せる。自分の中で登坂さんと登坂真代が対話して、「なんか暇な日が続いてるけどどうしよう?」とか。

 

:これは良いアンガーマネジメントになりますね。

 

登坂さん:なれるかもしれない!(笑)なんかそんな話がウケるとは思いませんでした(笑)。

 

:いやもう全部記事にしますから!

 

登坂さん:ぜんぜんOKです!

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